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長崎島原 銀杏(ギンナン)有馬の町おこし

日野江城跡

日野江城跡

日野江城は別名日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記されます。南には有馬川が流れ、東には大手川が流れている。縄張りは北西に三の丸、東に二の丸を配し中央の丘頂部に本丸が置かれています。(日野江城の支城であったのが原城です)

日野江城跡1

約400年間、この地の大名であった有馬氏のものでしたが、その後元和2年までは天領となりました。その後松倉重政が入城しこの城に不便を感じた松倉の手によって廃城となりました。(松倉は島原城に移りました)

日野江城跡2

当時の日本人は尺を使った単位で建築を行っていましたがこの城跡には、西洋の測量技術を使った跡が残されています。また豊臣政権と密接なかかわりがあったことを示す金箔瓦が出土しています。

日野江城跡3

有馬晴信の時代には大いに栄え、セミナリヨ設立により国際交流の場として日本の最先端であった城です。長崎の教会群とキリスト教関連遺産としてユネスコの世界遺産登録リストに入っています。
現在では残念ながら人口流出により過疎化が進み、歴史的価値の高い、この城跡も訪れる人が少なくなってしまいました。

日野江城跡4

私は、「セミナリヨの丘銀杏畑」という会社を設立し、農業生産法人として銀杏作りを進めていく中で、美味しい空気と歴史に包まれたこの有馬が今一度活気を取り戻すきっかけ作りを探しています。
日野江城の特徴
※イエズス会年報での報告より
【大小の部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られていた。この屋敷は最近有馬殿の手で建てられ、見事なできばえとなった城郭の中にある】
※仏教徒への弾圧の跡
多量の五輪塔地輪が踏石に利用されている階段遺構が検出された。

日野江城跡5

階段遺構(右側の坂の部分)発掘調査時の階段遺構

※金箔瓦
小大名の有馬氏が時の天下人である豊臣秀吉と密接な関係にあったことを示す。豊臣政権の中でも重要な位置を占める城郭のみにその使用が許されていた。
※石垣
大陸系の技術を駆使した石垣は当時の石垣遺構としてはかなり貴重なもの。

農業生産法人株式会社セミナリヨの丘銀杏畑
長崎県島原市北有馬町戊151番地
TEL:0957-84-2636/FAX:0957-84-3382

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